名古屋大学を志す皆さんへ

人類の未来を切り拓く「勇気ある知識人」の礎を築くために

基礎教育・教養教育って何だろう、なぜ大切なんだろう

教養教育院は、名古屋大学の教養教育と基礎教育を企画・実施するための組織です。基礎教育はその名の通り、大学生活を送り専門教育をうけるために必要な、すべての学部の学生に共通する基礎を身につけるための教育です。では、教養教育の方は?

そもそも「教養」とは何でしょう?

ズバリ言っちゃいましょう。教養は豊かな知識と同一視されることも多いですが、それだけに尽きるものではありません。社会の担い手であることを自覚し、議論を通じて社会を改善し存続させることを己れの責務として引き受け、そしてそれをうまく成し遂げることのできる存在(これを本学では「勇気ある知識人」と呼んでいます)になるために必要な素養・能力。これが教養の正体です。

残念ながら、すべての人が教養を身につけることができるとは限りません。みんなが教育機会に恵まれるわけではないし、教養教育をきちんと受けるためにもある種の能力と態度が要求されるからです。でも、未来の人類のために、教養を身につけた「勇気ある知識人」は、たとえ少数であっても絶対に必要です。何でもとにかく学んでみようという知的好奇心、これから学ぶことを社会の役に立てたいという願望、そして何よりも「努力できる」という能力。これから厳しい受験勉強をくぐり抜け、本学に入学しようとしているみなさんには、すでにこの「素養・能力と態度」が備わっていると信じています。

教養を構成する「素養・能力と態度」の中身について、もう少し詳しく述べましょう。教養には以下のものが含まれます。

(1)大きな座標系に位置づけられ、互いに関連づけられた豊かな知識。さりとて既存の知識を絶対視はしない健全な懐疑精神。
(2)より大きな価値基準に照らして自己を相対化し、必要があれば自分の意見を変えることを厭わない闊達さ。
(3)答えの見つからない状態に対する耐性。見通しのきかない中でも、少しでもよい方向に社会を変化させることができると信じ、その方向に向かって(1)と(2)を用いて努力し続けるしたたかな楽天性。

(3)を付け加えたのは、みなさんが暮らすことになる未来の世界は、これまでになく予測不可能なものになるからです。環境、エネルギー、文化間・階層間の衝突といった問題はまだ解決されないまま、「先進国」では人工知能やロボットの導入により現在の仕事の半数近くがなくなると予想される一方で、100年も生きなくてはいけない。…いったいどんな社会になるのでしょう。というより、どんな社会を目指していけばよいのかすら明確ではありません。

というわけで、教養教育は「専門教育を受けるための準備」ではありません。狭い専門知識を深く学ぶ前に「広く浅くいろんな知識を学んでおくこと」でもありません。いまある社会のいまある仕事をこなしていくための「社会人力の基礎を涵養すること」でもありません。教養教育は何か別のもののための「準備」ではなく、それ自体完結した目標を持っています。すなわち、未来社会の設計者としての心的態度を育てることです。これにそれぞれの専門的技能と知識が加わることによって、初めてみなさんは人類社会に貢献する「勇気ある知識人」に自己を形成できるのです。入学後、みなさんが教養教育の意義を正しく理解して勉学に励んでくださることを人類の一員として期待しています。

普遍性と先進性を両立させるため、基礎教育・教養教育のカリキュラムを大きく改善しました

「勇気ある知識人」が身につけるべき素養・能力は、時代や地域を超えて変わらぬ部分と、それらに応じて柔軟に変化すべき部分の両面があります。その両面に対応するため、2022年度入学生から教養教育院の提供するカリキュラムを大幅に変更しました。


一歩進んだ学習のために

名古屋大学では、皆さんの一歩進んだ学習を支援するために、以下の学習支援サイトを用意しています。
どなたでも自由に利用できますので、ぜひ覗いてみてください。

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