●本授業の目的およびねらい
人間と神の違いは人間が死すべきもの、神が不死なるもの、人間の知は限られていること、神は全知であることにあります。死を迎えない人間はいないことを考えるとき、私たち一人一人にとってどのように生きるのが真に意味あることなのでしょうか? ソクラテスは不当に死を強いられました。それは単なる犬死だったのでしょうか、不幸なことだったのでしょうか? 彼の生と死は、私たちがそれを自分の生死と突き合わせて真剣に考えるなら、何かを語りかけてくれます。その語りかけを、ソクラテス、プラトンを通して皆さんに伝え、考えるきっかけとしてもらうことが、本授業の目的です。
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●履修条件あるいは関連する科目等
自分自身を大切にすること、自分は何ものかを知ろうと欲すること、好奇心をもつこと。
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●授業内容
皆さんは、ソクラテスが「悪法も法なり」と言ったと中学、高校で学びましたか? ソクラテスはそんなことはまったく言っていません。彼の立場は、たとえ人から不正を受けようとも、不正を他者に加えてはいけない、というものでした。彼が不正の死刑を前にして脱獄しなかった理由もここにあります。 歴史的ソクラテスが具体的にどのような人物であったかについては、彼が何も書き残していないこともあってもちろん何も分かりません。しかし、彼を慕ってやまなかったプラトンが、ソクラテスを主要対話者とする多くの対話篇を残してくれています。本授業で扱うのは、この、プラトン著作に現われるソクラテスです。 それゆえ、本授業は、ソクラテスを対象とするとともに、プラトン哲学をも扱うことになります。なぜプラトンは、イデア論を展開し、また魂の不死を主張したのか? ソクラテスは彼にとってどのような存在であり、彼の哲学形成にどのような寄与をなしたのか、そうしたことを、「ああでもない、こうでもない」と語りながら、「よく生きる、よく死ぬ」とはどういうことなのか、「生と死の人間学」の授業のなかで考えていきたいと思います。 人生に正解はないように、哲学にも正解はありません。ただしかし「よい答え」と「悪い答え」の違いはあります。孔子はかつて「述べて作らず。信じて古を好む」(述而不作、信而好古)と言いました。この授業も、皆さんのこれからの人生、および大学・人生での学習が少しでも「よい答え」になるための参考になるようなソクラテス、プラトンからのメッセージを述べようとする、そうした授業です。
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●成績評価の方法
履修取り下げにあたり、履修取り下げ届を必要としない。授業を5回以上(5回を含む)欠席した場合は「欠席」とする。(1)出席、努力・意欲(40~50%)、(2)期末試験(レポート試験と筆記試験のどちらにするかは未定)(50~60%)で判定。
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●教科書
直接教材としては、講義資料を配布する。
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●参考書
プラトン著作(岩波のプラトン全集や、さまざまの出版社の文庫本、さらには筑摩書房や中央公論社等の古い翻訳で利用可能)
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●注意事項
授業の話はあっちへ飛んだり、こっちへ帰ってきたりします。そのような中でも、どうぞ楽しく学んでください。この授業も含めて、たとえ何かがつまらないと思われても、そこに意味を見出そうとしてください。また分かったことと分からないこととを自分で見分けて、分からないことについては遠慮なく質問してください。
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●本授業に関する参照Webページ
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●担当者からの言葉(Webページのみ表示)
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