教養教育院と全学教育の紹介

ごあいさつ

教養教育院長 戸田山和久

TODAYAMA, Kazuhisa

学生のみなさん

教養教育院は、名古屋大学の教養教育を企画・実施するための組織です。では、「教養」とはそもそも何でしょう。そして「教養教育」の目的とは何? ズバリ言っちゃいましょう。教養は豊かな知識を含みますが、それだけに尽きるものではありません。社会の担い手であることを自覚し、公共圏における議論を通じて社会を改善し存続させることを己れの責務として引き受け、そしてそれをうまく成し遂げることのできる存在(これを本学では「勇気ある知識人」と呼んでいます)になるために必要な素養・能力。これが教養の正体です。

英国の思想家マシュー・アーノルドは『教養と無秩序』という著書(一八六九年)の中で、次のように述べています。

「隣人への愛、行動・援助・善行への衝動、人類の過ちを取り除き、混乱を一掃し、人間の惨めさを減らしたいという欲求、この世を最初に意識したときよりもっとよく、より幸せなものにしたいという崇高な望み、つまりすぐれて社会的と呼ばれるような諸々の動機、こうしたすべてが教養の基盤の一部、しかも他に抜きん出た主要部分として言及されるような見解がある」。

 

残念ながら、すべての人が教養を身につけることができるとは限りません。すべての人が教育機会に恵まれるわけではないし、教養教育をきちんと受けるためにもある種の能力と態度が要求されるからです。でも、未来の人類のために、教養を身につけた「勇気ある知識人」は、たとえ少数であっても絶対に必要です。何でもとにかく学んでみようという知的好奇心、これから学ぶことを社会の役に立てたいという願望、そして何よりも「努力できる」という能力。厳しい受験勉強をくぐり抜けたみなさんにはすでにこの「ある種の能力と態度」が備わっていると信じています。

  

教養を構成する「素養・能力」の中身について、もう少し詳しく述べましょう。教養には以下のものが含まれます。
(1)大きな座標系に位置づけられ、互いに関連付けられた豊かな知識。さりとて既存の知識を絶対視はしない健全な懐疑。
(2)より大きな価値基準に照らして自己を相対化し、必要があれば自分の意見を変えることを厭わない闊達さ。
(3)答えの見つからない状態に対する耐性。見通しのきかない中でも、少しでもよい方向に社会を変化させることができると信じ、その方向に向かって(1)(2)を用いて努力し続けるしたたかな楽天性。

 

(3)を付け加えたのは、みなさんが暮らすことになる未来の世界は、これまでになく予測不可能なものになるからです。環境、エネルギー、文化間・階層間の衝突といった問題はまだ解決されないまま、「先進国」では人工知能やロボットの導入により現在の仕事の半数近くがなくなると予想される一方で、100年も生きなくてはいけない。…いったいどんな社会になるのでしょう。というより、どんな社会を目指していけば良いのかすら明確ではありません。

 

というわけで、教養教育は単なる「専門教育を受けるための準備」ではありません。狭い専門知識を学ぶ前に「広く浅くいろんな知識を学んでおくこと」でもありません。いまある社会のいまある仕事をこなしていくための「社会人力の基礎を涵養すること」でもありません。教養教育は何か別のもののための「準備」ではなく、それ自体完結した目標を持っています。すなわち、未来社会の設計者としての心的態度(マインドセット)を育てることです。これにそれぞれの専門的技能と知識が加わることによって、初めてみなさんは人類社会に貢献する「勇気ある知識人」に自己を形成することができるのです。みなさんが教養教育の意義を正しく理解して勉学に励んでくださることを人類の一員として期待しています。

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